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九章 小さな呪縛……一

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それは定まった未来ではなく、定まらない思いでもない。
その全てが、営みに縛られた悲劇だ。



 200×年 五月

 某県 景楽町――


 電話の音が鳴る。未だにベルの音が響く古い電話で、少々耳触りな呼び出し音だった。…僕は、その電話の受話器を慌てて取る。
「もしもし」
「おう、おはよう。今日は良い天気だな」
 元気の良い声が返って来る。
「そうだね。…久しぶりだなあ」
「最近雨続きだったからな。……良かったよ、ようやく晴れて」
「うん」
 本当に良かった。今日は僕の……誕生日だし。
「じゃあ、俺の家に来てくれよ。皆も待ってるから」
「…うん、じゃあまた」
「じゃあな」
 プツリ。そこで通話が切れた。
 僕は、台所で夕ご飯の支度をしている母さんに声をかける。
「それじゃ、行ってくるよ」
「早めに帰って来るのよ?」
 うん、と振り向きざまに答えて、僕は家を出た。

 空は、雲一つない晴天だった。その空を見て、僕は何となく、寂寥に包まれる。……それは、自分が仕掛けた面白いどっきりの道具を、誰かが見つけて引っかかってくれるかどうかが、気になる感じに似ている。事態がどうなるかどきどきして、もし誰も引っかからなければ寂しいな、……そんな感じだった。
 今日は、僕の誕生日。そして今日は、友人の家に遊びに行くことになっている。……だけど、友人の誰一人として、今日が僕の誕生日だとは言わなかった。……それは、僕を驚かせるサプライズパーティを計画しているのか、……それとも。
 その、それともを思うと、僕は心がちくりと痛むのだ。
 もし、誰一人として、僕の誕生日を覚えていなかったら……。その時は、どうしよう。
 道路の真ん中でそんなことを考えていることに気付いて、僕は慌てて端へ退いた。……とにかく、佐倉の家へ行かなきゃ。
 これから行く佐倉の家は、橋を渡って五分ほど歩いた先にある。この景楽町一帯の地主のような感じの家で、とても綺麗な一軒家だ。羨ましいなとは思うのだが、本人はやはりそういう事を思ってほしくないらしい。
 美鳥川を跨ぐこの橋を一つ越え、ようやく佐倉の家が目に入る。家を見つけると僕は、やや速足になった。胸はだんだんと、どきどきが増してくる。
 何軒か並んだ家の、一番奥。見栄えのいい一軒家がその友人の家だ。僕はインターホンを押して、彼の返事を待った。
「入ってきて」
 電話と同じ声が聞こえたので、僕は両開きのガラス戸を開く。
「……おじゃまします」
「はいはーい」
 女の子の声も聞こえた。靴を脱ぎ、家の中へ上がると、和室には計六人の友人達が集まっていた。僕が普段から遊んでいる、特に仲のいい六人だ。
「遅かったな、叶田。もうとっくに皆揃ってるぜ」
 佐倉が立ち上がり、僕のそばまでやってきて、やや乱暴に肩に手を回してきた。
「はは、ごめんね」
 誕生日のお祝いがあるかどうかが気になっていたとは口が裂けても言えなかった。そういうものは自分から言うものではない。友人が突然プレゼントを持ち出して、僕に祝いの言葉を告げ、それを恥ずかしげに受け取って、ありがとうと返すのが通常の流れな筈だ。
 僕は、一度落ち着いてから、和室全体を見渡した。……いつもと変わらない。別段飾り付けなどはしていなかったようだ。それだけで決めつけることは出来ないが、僕は少しだけ気落ちした。……もしかして、忘れてるのかな?
「さ、座って座って」
 僕は佐倉に促され、一つだけ空いていた座布団の上に座った。丁度七人が、丸い机を囲って向かい合う形になった。机の上には湯呑みが七つきちんと置かれてあり、その全てが湯気を立てていた。佐倉……はお茶を入れられるとは思えないから、大方世話焼きの波田がやってくれたのだろう。
「大勢集まったな。ま、今日は吉川先生が町の中央の方で講座を開くことになってるし、健康に気遣ってる人は皆行っちゃったからな。俺の親も行っちゃったし、皆も暇なんだろう」
「うん、私のところも今、家に誰もいないんだよね」
 佐倉の言葉に、三ツ越は何故か頬を赤らめながら笑った。
「というわけで、今日は七人で遊べること、考えないといけないよなあ」
「いやいや、むしろ七人の方が楽しいよ? 少人数じゃできないようなこと、やろうよ」
 と波田が言うので、
「それってどんなこと?」
 天地が聞くと、
「そりゃあ、球技が真っ先に思い浮かぶでしょ」
「はは……少人数でもやってることはやってるけどね」
 そう、僕らは普段から、三人でも四人でも、美鳥川の土手で、ボールを投げたり蹴ったりして遊んでいるのだ。まあしかし、人数が多い方が楽しくなるのは確かだった。
「じゃ、結局その球技を?」
「うん、そうしようよ!」
 波田は満面の笑みを浮かべ、ぐっと腕を突き上げた。
「……うーん、他に提案もないしね。じゃ、波田の意見通り、外で遊ぶとしますか。ほら、天地は確か、ちょっとぼろいけどサッカーボール持ってたよな。それ、持ってきてくれないかな?」
「あ、ああ。分かったよ」
「それじゃ、僕が湯呑みを片付けておくから……」
「ああ、私も手伝う」
 湯呑みを盆に乗せて、台所へ片付けに行こうとしていた佐倉の後を、波田は追って行った。結局僕は、湯呑みには一切口をつけていない。慌ただしかったせいだ。僕が来てからすぐにどんな遊びをするか、という方向に話が進んで行ってしまったせいだった。
「この菓子袋も片付けないと……って、これ歩実ちゃんが持ってきたやつか」
「世話焼きなのに、こういうところはおっちょこちょいだね」
「……僕が、捨てに行くよ」
 天地はそう言って、菓子袋を掴み、さっさと台所へ消えてしまった。それからしばらくして、佐倉とともに天地が戻ってきて、
「じゃあ、天地。ボールを取りに行ってくれ」
「……うん」
 彼は言葉少なに、佐倉家から出て行った。
「さて、僕らは一足先に、川土手で待っときますか」
「そうしよう」
 茂木の言葉に他の全員が頷いて、僕らは天地に続き、佐倉家を出た。
 美鳥川の土手は、少し流れが速かった。落ちないように気を付けながら、僕は水面をじっと見つめてみる。そこには、少しばかり不安げな表情が反射していた。時間が経つにつれ、心配事が心の中で着実に膨らんでいた。
 何ともなしに、土手沿いで走ったり、ふざけあったりしている内、ふいに野島が、
「あれ、歩実ちゃんは……?」
 と、佐倉に聞いた。
「……そういえば、いないな。湯呑みの片付けを任せて……それから、出てこなかったっけ?」
「うん、僕らと一緒にはいなかったよ、絶対」
「おかしいな……」
 佐倉が言うには、片付けを任せたまま、彼は僕らと一緒に家を出たという。家のすぐそばの土手で遊ぶのだから、戸締りも必要なかった。なので、波田は何の気兼ねもなく、僕らの所へ戻ってこれる筈だ。それなのに、十分程経った今も、まだ波田は戻ってきてはいなかった。
「ちょっと、家を見てこようか」
「そうしよう。何かあったのかも」
 佐倉と僕は、互いに頷きあって、草の生い茂った斜面を登り始めた。
「私も行くわ」
 その後ろから、野島もついてくる。
 僕ら三人は、斜面を登りきると、家のガラス戸をやや乱暴に開け、どたどたと中へ入った。
「……いないな」
「うん……」
 和室にも、台所にも、人の気配はない。台所に電気は付いていたが、消えてはいなかった。……いくら抜けたところがあるとはいえ、最後に家を出る人が、電気を消し忘れるだろうか。僕はどうも、おかしな事態に陥っているのではないかと思い始めた。
「どこに行ったんだろう……ちょっと他も探してみよう」
 佐倉の指示通り、僕らはトイレや寝室なども探してみたが、やはり家はもぬけの殻だった。波田はどこにもいる気配がない。そろそろ僕らは心配になって、青ざめた顔を互いに見合わせた。
「おい、天地が戻ってきたぞ。何かあったのか?」
 玄関で三人して悩んでいる所に、茂木がやってきてそう告げた。佐倉は曖昧な返事をして、
「じゃあ、行くか……」
 と煮え切らない表情で呟いた。
 そして四人で土手に戻ると、少し元気を取り戻して、
「よし、仕方ない。六人になったから、三対三でサッカーだ」
 と大声で宣言した。

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