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自作の小説等を置いていったり、読了した本の感想をほんの少し書いたりしていきます。
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八章 最後の一つ……二


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 吉川医院。十字路を曲がれば、すぐにその姿が見えてくる。潔白を示すような、穢れのない白い外壁。でもその中には、恐らく黒々としたおぞましい何かが、潜んでいる。
 僕と神田は互いを見、一つ頷いて、力強い足取りで、一歩一歩近づいていく。そして玄関の自動ドアを抜けた。
「すいませんが、吉川徹朗にお話を伺いたい」
「は? ですが今、吉川先生は診察中……」
「ええ、分かってますよ。今やってる診察が終わればすぐに、取り調べがしたい。すぐにね」
「わ、分かりました……」
 受付の女性は対応に困っているようだったが、神田の要求を渋々了承した。僕らは、何人かの診察患者の目をよそに、診察室の扉の前で待機することにした。
 そして、その時は存外早くやってきた。
 診察室の扉が開き、年老いた男性が一人、ふらふらと診察室を出る。神田はすぐさま開いた扉から中に入り、吉川先生のいる場所へ急いだ。僕もその後に続く。
 吉川先生は丁度、診察を一つ終えて、聴診器を外しながら溜め息を吐いているところだった。そんなところに神田と僕が現れたものだから、彼は持っている聴診器を放り、がたんと音を立てて丸椅子を倒してしまった。
「すまねえな、吉川」
「な、何だ、神田……? それに、……叶田くんまで……」
「なに、ちょっとした聴取さ。誰にも平等にやってきた、な。それが今、お前の所にきたまでだ」
「ちょ、聴取だって……!?」
 突然やってきた混沌状態だからというのもあるが、吉川はかなり動揺していた。普段の優しく落ち着いた喋り方とは、かけ離れた調子だった。
 彼はふと我に返ると、落ちた聴診器をおもむろに拾い、机の上に置いた。そして倒れた椅子を戻し、白衣を整えてから座りなおした。
「……なるほど、私にも聴取を行うってことだね。今更なもんでびっくりしたけれど……分かった。座ってくれ」
 吉川先生はそう言って着席を促したが、ここには椅子が二つしかなかった。一つは吉川先生が座っている。仕方ないので僕は、診察台の上に座ることにした。
「……さて、まずは俺と叶田が捜査して、大体の見当がついたことについて述べよう」
 裁判長が判決を言い渡すときのような、厳粛な様子で、神田は言葉を紡ぎ始めた。
「景楽町の児童連続殺傷事件で、凶器となったのはこの医院のメスだった」
「あ、ああ。そうだった……」
「そしてメスには、被害者全員の指紋が付着していた。逆に言えば、それ以外の指紋は一切検出されなかった」
「……そうだ」
「それにより警察は当初、被害者の中に犯人がいるのでは、という推測をしたが、それは早とちりにも程があったんだ。……当然のように、そうではない可能性だってある」
「……それはつまり、指紋が全くついていない人間でも、犯人であり得るという、全く明快なことです」
 神田の言葉を、僕が引き継いだ。
「……君らは、何を言っているんだ……?」
 吉川先生は困惑気味だったが、僕らは彼の言葉を無視した。
「指紋がついていない者も犯人に含めるとしたら? その場合、凶器の出所が最も怪しいのは必然だ。そして凶器は、この医院のメスだった」
「そうなると、医院内の人間が、最も疑わしい人物ということになる。……都合六人を殺し、そして一人を傷つけ、そして凶器に僕らの指紋を付着させた……ね」
「ちょっと待ってくれ! そんな推理、滅茶苦茶だ! 盗まれた凶器の出所だというだけで、持ち主を最有力の容疑者にするなんて!」
「ああ、分かってるさ! だから、その推理を固める為に、俺たちは吉川医院を徹底的に調べたんだよ……」
 その時、吉川先生はあっと声を上げた。
「ま、まさか……そんな」
「ああ。そうだよ。俺達は、この医院の入院患者について不審な点があることに気づいたんだ! この医院が普通よりも長く、患者を入院させ続けているということにな!」
 それを宣言された時の吉川先生の顔は、普段からは想像も出来ない、歪みきったものだった。怒り、焦燥、狼狽。様々な負の感情が入り乱れ、彼の顔を複雑に歪ませていた。それは、口以上に、彼の不正を雄弁に語るものだった。
「五年は前からだろう。初めは、ちょっとした出来心だった。体調の悪い患者を通常より長く入院させ、そしてその分の金をせしめていた。……しかし、それに味をしめたお前は、毎回少しずつ患者を長く入院させるようにして、その都度金を巻き上げるようになったんだ……」
「…………」
 吉川先生は、何も言わない。
「大方、三年前の茂木の母親が死んだあの事故についても、それが関わっているんじゃないかと俺は推測する。……多分、茂木の母親も長い期間入院させられてたんだ。それも、その頃のお前は少々度が過ぎていて、かなり多額の費用を要求していた……。茂木の母親は、まさか病院がそんなことをしているとも知らず、多額の治療費を払える筈もなく、絶望し、それで……」
 神田の調べていた、あの事故。茂木がずっと気にしていたあの事故の真実は、ともすれば本当に、そういうものだったのかもしれない。……僕も大体予想はしていたが、返答をしない吉川の様子を見て、胸が鋭く痛むのを感じた。
 ――茂木。
「……わ、私は……私は……」
「認めるか、それを」
「……私は……そんな……」
「うるせえ!」
 神田はいきなり立ち上がると、吉川先生の襟をぐいと捻りあげる。今にも彼を宙吊りにしかねないような感じだった。
「認めやがれ! お前は、その善人ぶった顔の裏で、長いこと患者たちを騙し続けてたんだよ! そうだろ!? お前は、……他でもない、お前が……」
 それ以上は、聞き取ることが出来なかった。彼の咆哮は、押し寄せてくる涙によって、全てがかき消されてしまったのだった。
 そして、吉川先生も、またそうだった。
「……分かる筈はない……ないと、……そう、思ってたんだ……私は……あぁ……」
「畜生……吉川……畜生……」
 吉川先生と、神田。……二人の旧友。
 彼ら二人の間で、いつしか生まれた隔たり。
 それは、少しずつではあったけれど。今や、とてつもなく大きなものとなっていた。
 そして吉川先生はそれを背負う者であり、……神田は、それを告発する者だった。
 罪。
 二人の間に立ち塞がる、それはとてつもなく大きな、壁なのだった。
 最早、もう二度と、彼らは……。
 そして、吉川先生――いや、吉川は、認めた。
 自身が行った悪事の全てを、認めた……。
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