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真実の隣に横たわる、悲しき影の物語は。
僕が全てを思い出し、神田にその全てを告げ。
景楽町児童連続殺傷事件が、幕引きとなった後のことだった。
佐倉の両親から、事件が起きた理由と思わしきしきたりを聞き取って、彼の心の痛みに胸を締め付けられた後のことだった。
僕は、最後に残った矛盾を解明する為に、ある人を呼び出していた。
この一連の事件において、ひたすら裏方に回っていたのであろう、その人を。
美鳥川は、鮮やかな赤い夕陽をきらきらと反射していた。それが、事件の穏やかな幕引きを、鮮やかに彩っているように思えた。
これでようやく、僕らを苦しめた事件が、終わる。
波田を、三ツ越を、天地を、茂木を、野島を、僕を。そして果ては、犯人の佐倉をまでも苦しめた、この事件の全てが。
その人は、軽やかな足取りで、ゆっくりと、こちらへ向かってきていた。
「……こんばんは」
「……ええ、こんばんは」
僕も、その人も、軽く頭を下げて、挨拶した。
「……分かってるわ。君に全部、知られてしまったんだから。白状しないわけには、いかないわよね」
「……はい。どうか全てを、認めてください」
夕陽が、彼女の顔を赤く染めていた。暗い赤の影は、彼女の表情をすっかり覆い隠していた。
川のせせらぎが、聞こえる。
「あなたが、佐倉を教唆し、最後に彼が疑われないように死体を動かして森へ遺棄した。……そうですね、谷あやめさん」
*
彼女は、にっこりと笑いながら、ほんの僅かだけ、首を縦に動かした。笑った口元だけ、影が濃くなった。
「その通り。……どうして分かったの、なんて聞かないことにするわ」
「……全てを思い出した今となっては。その矛盾を見つけることは、簡単でした」
僕は、一応それを彼女に説明することにした。
「……ただ一つだけ、僕が思い出した状況と、僕が意識を取り戻してからの状況で、違うところがありました。それが他でもない、佐倉の死体の場所です」
「……」
「佐倉は瀕死の体で、それでも僕を殺そうと、茂木に刺された森から、ゆっくりと歩いてきていました。その時、ぽつぽつと、血が落ちて行った。それがあの血痕だった」
十字路辺りから森までの血痕。神田さんはそう言っていたが、それには語弊があった。そうではないのだ。あれは、森から十字路までの血痕だったのだ。
「なら、佐倉が森で死んでいるのは、どう考えてもおかしいんですよ。だって佐倉は、僕の目の前で、……呪いの言葉を告げた後に、息絶えたんですから」
「……そうね……」
だから、佐倉の死体が移動するためには、別の誰かが必要だった。その時、他の関係者である吉川先生や、医院の他の看護師などは、講座を行っておりアリバイがあった。
……唯一、谷あやめを除いては。
「谷さんは、佐倉が計画を実行することを聞いていたのかは分からないけど、少なくとも何か危険なことをするだろうってことは分かってたんでしょうね。それで、一人講座を抜け出し、ここへ戻ってきた……」
「ええ。実際誰を殺すかというのは聞いていなかった。……でも、あの子の心は殆ど壊れかけていたのよ。三年前の、あの事件からね……」
「……茂木の母親の、事故ですか……」
「そう……」
谷は、その事故の舞台となった、今は赤い美鳥川へと視線を移した。
「あれは結局、事故だったの。貴方が思っているような事件はなかった。……けれど、不運だったのよ。佐倉くんが茂木くんの母親を見つけ、体調が優れないように見えたから声をかけた。その時、茂木くんのお母さんは、突然倒れてしまった……」
それが、実際全く関係のない佐倉の心を、酷く打ちのめしてしまったのだ。
「彼は必死に彼女を助けようとしたわ。でも、助からなかった。私は偶然それを見つけてね? ……彼に同情して、医院の人間が、決して言っちゃいけないことを、言ってしまったのよ」
「……不正を、ですか」
「こう、言ったわ。彼女は、……騙された、可哀そうな人だったのよって」
そして佐倉は、吉川医院の闇を知ることになったのだ。
佐倉が病院に足しげく通っていたのは、実は医者を目指すとかいったことでは全然なかった。吉川さんの弱みを握り、自在に操れるようにするために、下準備を行っていたのだ。
その際、天地の弟のことも知った。それを利用し、佐倉は更に天地までも傀儡のように操ろうとしたのだ……。
「彼は、医院のメスを盗み、そして危険な薬品も奪った。それを何に使うかは言わなかった。いや、盗んだんだから、何一つ言うことはなかったわ。吉川先生はそれに気づいたようだけど、怖くなって彼もまた、何も言わなかった」
佐倉は、周到に計画していたのだろう。僕を、……僕だけを殺す計画を。
ただそれは、脆くも崩れ去ることになってしまった。
「……貴方は、一体佐倉をどのように思っていたんですか?」
僕は、笑みを崩さない谷さんに、聞く。
「……私は正直、彼のことをそこまで思ってはいなかったのよ」
彼女はゆっくりと顔を上げる。そして、眩しい夕陽に目を凝らすような仕草をした。
「私が思っていたのは、いつだってあの、眩しい夕陽にような、正義のこと。自分が勤める医院の主が悪事を働いてるのを見て、それをきちんと正せるような……」
「…………」
「それは、したかったことであって、出来ることではなかった。私には勇気が無かった。私は結局、吉川さんの行っている不正を表に出すことが出来ず、ただ苦痛を募らせるだけだった……」
そんな時に現れた、茂木の母と佐倉。佐倉は彼女の死に罪悪感を抱き、苦しみに苛まれた……。
谷さんは、ある意味その、吉川が生み出した被害者を、憐み救いたいと思ったのか。いや、救いたいと思ったのではないだろう。おそらく、こう思ったに違いない。
心を痛めた彼ら被害者が、何らかの行動を起こせば、……吉川医院の不正が、暴かれるのではないか、と。
「そしてその思いが、今度はこの、悲劇的な事件を生んだんですよ、……谷さん」
「……そうよね。そのことは、私が一番、分かっているわ……」
その時やっと、彼女から笑顔が消えた。影がまた濃くなって、もうどんな表情を浮かべているのかがわからなかった。
そしてシルエットのようになった谷は、独りごちるように、呟く。
「彼が破滅的な考えによって、吉川さんと天地くんを操ったように、……私も佐倉くんを、操っていたんだわ……」
それが、悲劇の全てだった。
誰も彼もが、操られていただけだった。
全てはそこに集約される。
ただただ、儚い悲劇の物語……。
……谷さんは、ゆっくりと僕の方へ歩いてくる。そして、過ぎ去っていく。
「行くんですか。全てを語るために」
彼女はまた、笑う。
「ええ。それで本当に、この事件が終わるのよ」
その笑顔は、今ようやく、何もかもが吹っ切れたというような、夕陽のように眩しい、笑顔だった……。
*
事件は終わり、平和な日常が戻った。
大切なものは全て、形無き悪意によって、奪い去られてしまったけれど。
それでも僕は、前に進もうと思っていた。
野島が最後に言ってくれた、祝いの言葉を胸に。
……そうして一週間程、月日が流れた頃。
僕を訪ねてくる、一人の男の姿があった。
登校途中の僕は、はっと気づいて立ち止まる。
「神田さん……」
その顔を、見間違える筈もなかった。
「久しぶりだな、叶田」
「ええ、久しぶりです……!」
本当に久しぶりだ。僕は嬉しくなって、すぐに彼の元へ駆け寄った。
神田は僕が駆け寄ると、両腕で僕を包むようにして迎えてくれた。
「もうすっかり元気だな」
「そうでもありません」
だが、もう傷は癒えてきていた。消すことは出来ないが、癒すことはできる。
それが傷だ。
「お前のおかげで、あの事件はすっかり解決さ。俺も褒められたよ」
「おめでとうございます」
「は、ありがとな。おかげさまで昇進できるかもしんねえ」
「本当ですか?」
「ああ、本当さ」
「おめでとうございます!」
心から、お祝いしたかった。
「……いや、むしろ俺が感謝したいくらいさ。この一件は、殆どお前が解決したようなもんなんだから」
「そんなことはありませんよ。むしろ、僕が早く記憶を取り戻していれば、あんなに複雑にはなりませんでした」
「ま、それもそうか」
「はは……」
そうだ。この複雑怪奇な事件は、実際、僕が記憶を失わなければすぐに解決していただろう事件だった。
ぼくはこの目で、犯人の姿を見たのだから。そして、対峙したのだから。
忘れずにいれば、目が覚めればすぐに解決していた事件なのだ。
「……それで、今日はどんな用で?」
「何、忘れてたことを一つ、やっておこうと思ってな」
忘れていたこと。それは、事件に関係したことだろうか。
僕の中では、全てが終わった事件だけど。
神田にはまだ、確かめたいことが残っているのだろうか。
「……何です? それは……」
僕は上目遣いに彼を見つめた。
「……それは、これだよ」
神田は笑って、小さな、綺麗な包装の施された、箱を差し出した。
「……忘れてたんじゃないか、最後まで」
「あ……」
僕が結局、貰えなかったものだ。
「餞別ってとこさ。ありがたく受け取れ」
「……はい」
「遅くなったが。……誕生日、おめでとう、だ」
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