―私は誓いました。あの日を消し去ろうと。
あの日はとてもよく晴れて、透き通った風がなびいていて。
思い出すと誰もが皆、涙を流して悲しむから。
あの子がいたこと、そして今はいないことを、嫌でも感じさせられるから。
誰かが、横たわっている。冷たい地面の上に、横たわっている。
呼びかけても、その少年は何も言わない。何も反応はない。
やがて流れ出る、赤い雫。それが彼の名を叫んでいる、少年の手を染める。
信じられない。こんなことになるわけがない。だけれどそれは、確かに現実で。
その開かれた虚ろな目が、…叫んでいる少年を見ることは、もうなかった。
あいつは確かに俺達の仲間だった。
それを忘れることはない。
そして忘れてはいけない。
あいつは、何かを謝っていたんだということを――…
*
*
シェルター44は、学校が一つしかない。小、中、高一貫の学校だ。そしてそこに通う子供達の家庭は、たった数軒。
山奥にある小さなシェルター、それがシェルター44だった。
昔の名残を残した地形。それに合うように作られた学校、そして住宅。…その住宅はどれも似たような作りで、このシェルターがつい最近整備されたことを物語っている。
目覚ましの音が少年の眠りを覚ます。それは一つ目ではなく、二つ目の目覚まし時計だった。どうも彼は、時計ひとつでは起きることができないらしい。
彼――芹沢零音は、寝ぼけ眼をこすりながら起き上がる。特に疲れてはいないのだが、たまに寝付きが悪い日がある。
そんな時は決まって夢に見る、色褪せた、遠い日の光景が彼を苦しめるのだ。
「…まだ、忘れられないんだな…。忘れたいのに」
目を閉じれば、赤い色が視界に広がる。振り払おうとしても消えない、心に焼きついた記憶。…零音は首を振り、部屋を出る。…流れる汗を拭きながら。
自分の部屋から出てすぐ右に、リビングがある。そこには既に、父と母がテーブルについていた。
湯気をたてる朝食は、なんとも美味しそうなのだが、さっきのこともあり、食欲はあまりわいてこない。
しかし、食べなければ学校で元気に勉学、運動に励めないのだが。
「ほら、はやく座って食べなさい。冷めちゃうわよ」
母に急かされ、零音は席に着く。そしてまずお茶を飲んだ。
「…また寝れなかったのか、零音。…まぁ、わかるけどな。…なるべく忘れたほうがいい。あの時のことは」
「…うん」
渇いた喉を潤し、ご飯をゆっくりと食べ始める。もう汗は止まっていた。
「何もあの子のことを忘れろ、ってわけじゃないんだからな」
父はそう言って、零音の頭を優しく、ポン、と叩いた。
「…わかってるよ、父さん。俺も忘れたいんだけどね。…先生にも言われたし。…ま、大丈夫だよ。そのうち多分忘れるだろうから」
忘れなければ、大人になってもこんな朝が続く。…しかし、やはりあの日のことは簡単に忘れられるわけはなかった。
父も母も、それ以上は何も触れない。それがいいことは誰でもわかるだろう。再び箸を取り、食事を再開する。
彼の両親は優しい。零音はそう思っている。いや、こういうのどかな村に住んでいる全員が優しいものだと思っている。…だからここは幸せな世界だった。都会に憧れを抱くこともなかった。まぁ、テレビやラジオ…旧型だが、都会に近いものは置いてあるのだし。
零音の両親は、共に四十歳後半で、零音はどうして自分が一人っ子なのかと聞いたこともあった。しかし父も母も答えを言わず、そのうちわかるかもしれないと誤魔化していた。少なくとも、零音にはそう見えた。
「…シェルター42が…? もうすぐそこじゃないか」
ふいにそんなことを、父が言った。テレビのニュースに対してらしい。…見ると、この近くのシェルター42が映し出されていた。
『…このシェルターは都市圏に比べ小さなシェルターで、人口は百人程でした。今朝警察が駆けつけましたが、既に全員が死亡していたということです』
「どうしてこんな事件が続くんだろ…父さん、避難場所とかはあるの?」
零音は聞く。…このニュースを初めて聞く者がいたら、しばらくは衝撃が抜けないだろうが、彼も、他の人も、…こういうニュースは何度も聞いていた。
「…理由はわからない。テロ組織が関わっているのかもしれないな。…避難場所は、シェルター『Work』がある」
ここ二、三か月ほど前から、この事件は続いている。同一犯なのかそれとも、同時多発的なテロなのかは知らないが、狙われたシェルターは一晩の内に、住民全員が殺害されるという凄惨な事件…。
遺体は、ナイフで刺されていたり銃で撃たれていたり様々で、どんな惨状だったかは、想像するのさえ辛い。
更にこの事件は、4と9の数字がつくシェルターだけが狙われ、もう42までのシェルターが被害にあっている。…つまりは、十一ものシェルターが皆殺しにされるという、大事件になっているのだ。
そして今、零音達が住んでいるシェルター44も狙われているのではないかと、村の人は囁き合っていた。
国も、対策をとっていないわけではない。警官を派遣し、非常時と、毎朝六時に連絡をとっている。当然このシェルターにも一人、警官が派遣されているのだが。
「…シェルター42にも、警官はいたはずなのに。…どうして何もできなかったんだろうな」
零音は呟く。…警官にいるにしろいないにしろ、結果が変わらないというのをニュースで見て、どんどんと不安は募っている。
「ごちそうさま。さ、零音もはやく着替えなさい。いくら学校が近いからって、ぎりぎりまで寝ないんだぞ」
父は皿を片づけ、部屋にカバンを取りに行く。…それがいつもと変わらないので、すこし安心する。
しかし、やはりニュースを見たあとの気分は、いいものではない。おまけに夢でうなされて、今日は最悪だった。
「今日はもう二度寝する気にもならないよ。ごちそうさま」