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―私達の奏でる十重奏。それはもうすぐ終幕を迎える。
いくつもの怒りと悲しみを、殺人で塗りつぶしてきた物語。
それでもあなただけは殺せなかった。
私の大切な、…君だけは。
明るい陽の射す教室の窓に、明るい声が響く。
「じゃあ次は、この文ね。零音くん、読んでみて?」
太陽に負けないくらいの明るい笑みを浮かべて、彼女は言う。
「はい」
零音はそれに答える。それが、今まで続いてきた、日常。
そして今、太陽の射さない暗い世界で、電光に照らされて立っている二人の影。
一人は少年。もう一人は女性。
「いつも、そんな風に明るく、振舞ってましたね」
零音は、懐かしむように言う。
「…いまでもあなたは、俺達の、…先生ですか?」
その問いは、…目の前の女性に。
「零音くんが、そう思ってくれてるなら、そうよ。…もう何分かは」
関美里は、…零音をまっすぐ見つめ、笑った。
もう、本当に。生きている者は、二人だけだった。彼女の服にはべったりと血のようなものがついていたが、それはどうも、血のりらしい。
「……知らないと、…きっと気が済まないでしょうね。この事件の全部。…この幸せな世界を、大切な人達を、平和を、…撃ち壊して殺して、…それでも終わることのできなかった、この事件の、全て」
関先生は、長い髪をすく。…そして、ふ、と溜め息をついた。
「…教えてもらいましょう。…真実」
この世界を粉々にした事件の、真実を。
そして、彼女は話し始める。関美里を、話し始める。
「…事件の理由は、単純よ。…私も。残された人々なのよ」
零音は予想していた。犯人は全員、残された人々だったからだ。つまり、…関は、平山夫妻と同じ、潜入犯だったのだ。九年前に彼女は、平山夫妻と共にこのシェルターにやってきた。…潜入犯として、派遣されてきたのだ。
「残された人々の事は、話したわよね。…ニュースで取り上げられる、…可哀相な人々としての、残された人々については。……国のミスによって、収容人数が足りず追い出された、可哀相な人達。…そしてね。国が私達に、命令したのよ。…生きる機会を。代わりに、…犯罪者に死を、と…」
国は、自らの犯した失敗のツケを、こともあろうに被害者である残された人々に拭わせようとしたのだ。…だからつまり、処刑組織メシアの大元、黒幕は、…政府なのだ。……国家が犯罪を命令するなんて、零音には信じられなかった。しかし、それは真実なのだろう…。
「……朝霧くんのお兄さん、つまり一哉くんみたいに、…私も両親に置いて行かれたの。…そして、独りぼっちだった。……恨んだわ。なんで私がいるのに、犯罪なんかして、捕まって、もう二度と会えないなんて…」
関は淡々と語る。それは昔の色あせた記憶。そう言うかのように。
いや、彼女にとって、もう過去は本当に、色あせた記憶なのかもしれない。
零音が、皆が優磨の事を忘れようとしたように。
彼女もまた、忘れようとしていた。
「…十七歳で、結婚したわ。…寂しかった人生に、夫は光を与えてくれたのよ。…本当に幸せだったわ。…あの時だけは」
零音は驚く。…独身だと言っていた関が、急にそんなことを言えば、それも当然だった。
「…子供もできた。みくって名前の、女の子よ。未来と書くの。…もう会えないけれど。私の自慢の、娘…」
思い出すかのように、上を向く関。…そして、再び零音に目を合わせた時には、もうその顔は悲しみの表情に変わっていた。
「…夫がね。……殺されたのよ。結婚して、すぐなのよ? …恨んだわ。…犯人を。どうして私達はこんなに絶望のどん底に突き落とされなきゃならないのかってね…」
そして、関は子供と二人になる。…もちろん、残された人々は、寄り集まって人のいなくなったビルなどに住んでいたので、手を貸してくれる人は何人もいたのだが。
「…そんな時、来たのよ。国から、…招待状が。それはあの時の私達にとっては楽園への招待状だったでしょうね。……今では、ここは地獄だけれど」
夫を殺され、怒りに身を焦がしている最中に、メシアの招待状がきたのだ。……自分が大賛成したのは言うまでもなく、他の人達までもがそれをおしてくれた。
「…俺も、地獄だと思うよ」
零音は力なくそう言った。
「……ええ、…ごめんね」
関は、申し訳なさそうに笑う。それがいつもの先生に見えて、零音は涙が零れそうになった。
「…メシアに入ると、潜入犯か実行犯に分けられた。私はもちろん、潜入犯よ。…地理をよく理解し、…場合によっては合い鍵も全て複製する。…その為の訓練をしたわ。実行犯も同じように、射撃訓練なんかをね。…馬鹿な話だわ。国が殺人犯を作り上げていくのよ? ほんと、…今思えば、馬鹿みたいな…」
しかし、昔は一心だった。自らの生活と、子供の生活を。…守ることができるなら、やり遂げて見せようと。
やがて、チームが出来上がり、犯罪者の隔離シェルターに、派遣される日がやってくる。…関の班は十三番。関がリーダーになり、どのシェルターに行くのかを自分で決めることができた。
「…そして。リーダーになった私は、…犯罪者シェルターの一覧を渡された。好きな場所を選んでくれて構わない。そう言われたわ」
なるべく人口の少ない場所がいい。そう思った関は、人数順になっている表を見て、一番下を見る。そのシェルターこそが、シェルター44…このシェルター。
「人口が三十人もいないなんて、いいシェルターだと思ったわ。苦しみに耐えられず犯罪にはしって、それなのに私達より良い生活をしている犯罪者達を、殺す。…ためらいなんてなかったわ。だって、自分達より良い思いをしてる悪人なんて、許せなかったもの」
犯罪者は、絶対悪。そう思っていた関からすれば、…その人達を殺すことは、ある意味裁きのようにも感じられて、…もしかすれば、微かな快楽すら感じただろう。
「自分の両親も犯罪者なのにね。ほんと、昔の私は、どうかしてたわ……。そして、見つけるの。そのシェルターに、…私の、両親をね…」
関もノトスと同じ…だったのか。…零音は顔をしかめる。…ということは、誰かの姉であって、…両親を手に掛けたということなのだろう。
誰の姉なんだろう? 雪か、東か、水谷か舞宮か…?
そして、関は言う。
「…私は誰の子供かわかる? 零音くん。…いや、零音」
心臓が、飛び上がるかのようだった。…そんな、まさか…? 零音は、口を開いたまま、何一つ喋ることができなくなってしまう…。
そう、彼女は、関美里は……。
「私の、昔の名前は」
「……そん、な…」
関は、目を細めて笑った。
「芹沢、美里」
…世界が、沈黙した。
その、零音の驚愕の表情を見て、関はまた、笑う。
「…あははは……。そんな顔するだろうと思ってたわ、…零音。…私もびっくりよ。…こんな風に君の名前を呼んで、…普通に生活がしたかったな」
また関は髪をすく。風があるわけではないけれど、彼女の心には寂しい木枯しが吹いている気がする。
「…俺の、…姉さん……?」
零音の口からやっと出るのは、あまりに平凡な言葉だった。…それくらいしか言えない。…あまりに驚いてしまったのだから。
「…芹沢家は、二十年程前に罪を犯して逮捕された。私は七歳で、…世間の陰口に耐えながらも、何度も面会に行ったわ。そして十六年前に、犯罪者移民制度が更新されて。…私は置き去りに。……結局私は一人きりになったわ。…朝霧一哉くんも同じでね。…何度か語り合ったこともあったかな」
メシア十三番隊は、関の選択によって、シェルター44へ派遣されることになった。
「思えば、それがいけなかったのよ。…いくら両親と話がしてみたいとはいえ、…シェルター内の人達を殺すのに、両親さえ殺さなきゃならないのに、そこを選ぶなんて、ね」
しかしそれでも。一度だけ、聞きたかったのだ。…自分のことを、悔いていないか。…まだ大切に思ってくれているか。
一哉もまた、同じ考えでここを選んだ。だからこそ、より一層このシェルターは悲劇の舞台となっていったのだ。
「……そして。潜入の一週間前になってね。言われた事があるの」
そこで言葉を切って、…零音に聞く。
「何だと思う?」
…その質問の答えは、恐らく、……。
「……ここまでして、あなたは…」
そう、彼らは潜入犯。何年もの間、共に過ごし、そして最後には。
「…ええ。そうよ…。潜入犯は、犯罪者シェルターに派遣されるわけだから、怪しまれないためには、自分も犯罪者だということにしなければならない。…つまり、…私も。あなた達と一緒に、このシェルターで死ななければならない…」
関は自分の左腕を右手でぎゅっと握る。……その時の辛さがうかがえた。
…一週間前に、死の宣告をされたのだ。犯罪者と共に過ごし、そして、最後には共に死ねと。…それは、潜入犯のみの仕事。…平山夫妻もそうだったのだろう。…だから優磨は、殺人までして止めようとしたのかもしれない…。
「未来には、…お別れをしてきた。…そして平山さんは、優磨だけはどうか助けてくれと言って…子供がいないということにしたのよ。…いや、でもね。…多分国は、戸籍を抜いてなんてなかったと思うわ。平山さん達を安心させておいて、…結局、…死なせるつもりだったのよ」
国は、被害者すらも、自分達が有利に進むための駒として扱い、…そして、容赦なく捨てる。…腸が煮えくりかえりそうな話だった。
それでも、作戦は止まらなかった。計画が巨大化していたこともあったが、…何より関には、わが子の人生が保障されるという、夢の様な報酬があったからだ。…自分の命と、犯罪者の命を引き換えに。……せめて、不幸な私と夫の子供にだけは、幸せを。
「そして、九年前。私達はこのシェルターに来たわ。両親が気付いてくれるかもしれない…そう思ってね。あえて美里という名前のまま、ここへ来たの」
新しくできる学校の担任と、それを期に、新たに連れてこられた子持ちの家族…という建前で、彼らはやってくる。実行犯は当日まで連絡を取り合ったり、近くのシェルターで会議をしたりするだけなので、来る必要はなかった。
……突然、関の声が変わる。
「………なのにね。…二人とも、何も言わないのよ。…悪い冗談に思えたわ。二人が私をからかってるんだって。…でも、ほんとに、…何も言ってこないの…」
十数年という歳月は、娘の事すら忘れさせてしまうのか。…あの時の自分が七歳で、いくら今とは違うからといって、…気付いてくれないのは、…信じられなかった。
「そしてその時には、零音、君がいてね。私の両親は、君だけが自分達の子供…そんな風に愛情を注いでいたわ。…だから、…もう、私にはなかったのよ。…自分の家が、家族が、…消えてたの」
それを聞いて、零音は申し訳ない気持ちになった。…決して自分のせいではない。…しかし、自分の存在が、芹沢美里の存在を奪ったということは、…確かなのだろう…。
「どれ程泣いたのか、分からない。…毎晩涙で枕を濡らした。…そしてね。…それがまた、私の心を、塗りつぶした」
黒く塗りつぶされた心は、殺人へのためらいを、消し去った。恨みと、怒りと、悲しみ。負の感情が関を包んで、彼女を戻れない道へ駆り立てた。
どうして私はこれほどに不幸なのか。いつだって忘れられ捨てられ取り残され。…一人だった。…なら、最後に、この思いを晴らそうと。
「…八年前、新しく三つの家族がここに来た。分かってるわよね。水谷家、白井家、そして朝霧家。…一哉くんは、これは運命なのかもしれないなんて言って、複雑な顔で無理に笑ってたけどね。…その頃から彼も、葛藤してたと思うわ」
そして複雑な感情を抱えたまま、シェルター内での生活が始まる。
…でも。
「…一年間、先生をして…心の中の闇が、消えていった。不思議なくらいに…負の感情が、消えたの。…だって、だって、ここは…」
関は初めて、涙を流す…。
「本当に幸せそうな、世界だったから…」
自分達が苦しい思いをしている時に、犯罪者達が幸せな生活をしているなら。…更に怒りが高まるはずだった。…しかし、ここは違ったのだ。
もしも彼らが、酒やら煙草やらを嗜んで、裕福で肥えて笑っていて。…そんな幸せの世界なら、彼女の怒りは高まっただろう。
けれど彼らは、自らの罪を受け入れ、この静かな村で、…お互いに手を取り合って、毎日を過ごしていた。…本当に幸せそうな顔で、…犯罪者などには見えない顔で、…毎日関に、笑いかけてきた。
「そんな彼らを、殺せない…。私が殺そうと思い描いてたのは、傲慢で、歪んだ笑みを浮かべるような、そんな悪人面した犯罪者なのよ? どうして彼らはこんなにも眩しいの? …殺せない…そう思ったわ…」
関の心から、決意が少しずつ乖離していく。彼らを殺すことを、…止めたいと思うようになっていく…。
「それでも、止められない計画だった。もう計画は進んでいたんだから、…実行するしかなかった。…だから、苦悩に潰されそうになりながら、…私は九年間過ごすしかなかった…」
日を重ねるごとに皆と親しくなる。いつしか彼らといる日々が幸せに変わり始める。…でも、それは消えなければならない世界。
……当時、どれ程に拒絶しようとも、…国が計画したそれを、覆せる訳もなかった…。
「…五年前。…私は悩ましい思いを抱えたまま、一つ思い立ったわ。…シェルターの皆に、どうしてここへ来たのか、後悔していないか…聞くことにしたの。表向きは、学校の保護者懇談みたいな感じでね。…もしかしたら皆の黒い部分が知れて、…私の心の重荷を下ろしてくれるかも知れないと思ったわ。…おかしいわね、ほんと、私は」
わざと犯罪の経緯を聞いて、彼らのイメージを無理やり悪人に変えようとしたのだ。そうすることしか、自身の苦痛を和らげる方法は思いつかなかった。
なのに。…そんな思いとは裏腹に、…このシェルターの人間は、どこまでも、…綺麗な人達だった。…黒い部分など、とっくの昔に消し去った、どこまでも、優しい人達だった…。
「彼らの話を聞いてるうちに、涙が止まらなくなったわ。後悔。謝罪。そしてそれを忘れないように、でも幸せに明日を生きたいという思い。酷いじゃない。犯罪者の方が優しくて、都会の偉そうな奴らは醜くて。…逆でしょ、そうじゃなきゃ、困るのよ、辛いのよ…」
とうとう涙を止められなくなり、両目を手で覆って、関は泣いた。…そしてそれを拭って、…話を続ける。
もう、やめてほしい。そんな辛い話、しないでほしい。零音はそう言いたかったが…彼女の、自分の姉の、悲しい告白だった。…全部聞いてあげよう。それだけが、今できる救いなのだろうから。
「…私の両親との懇談の日。…それが、私が最後に望む日だったわ。二人が全て忘れてたなら、せめてその思いで私は全て割り切れる。…そんな風に強がって。…案の定、二人は私の事を娘だとは気付かなかったみたい。…だから、どす黒い喜びが、…一瞬だけ湧いた」
関美里です。そう言って両親と三人だけで対面して。気付かれない悔しさ。悲しさ…。それを零音は察する。どれほどの苦痛だったのか。
「でもね。…やっぱり二人も、同じだったのよ…! あなたと同じ娘がいましたって言って、後悔を何度も何度もぶつけてくるの…! なんとしても連れてきたかった、そうすれば彼女も幸せだったろうって…目の前で言われて、あれほどの苦痛は、なかったわよ…」
しかし結局、懇談が終わるまで、関がその美里であるとは気付かなかった。少しの空白と、だけど満たされた気持ちと。…その矛盾が、また関を苦しませた。
これ以上誰が関を苦しめるのか。すること全てが裏目に出た。…だからもう、全てが終わりを迎える日まで、何も触れないでおこうと関は思った。
そして最後の懇談の日。
「その日は、…雪ちゃんの両親と話した。…どうしてこんなにも運命は、私を追い込むのかしら。…嘆いたわ。そんなこと、あっていいのかって…」
懇談の席で白井家は話し始める。自分達がシェルターに来ることになった罪を。
「…雪の、…両親の、罪…」
零音には、思い当たる節があった。そう、雪が毎日見るといっていた悪夢。…両親が血に染まって、家に帰ってくる夢。…そして、関に関係があること。
それが意味するのは…。
「雪ちゃんの両親が。私の夫を。…殺した。…それを知ったの」
残酷な、真実。
雪の両親は、十年前、貧困から関の夫を殺してしまう。夫はその時彼らの金を盗もうとしていたのだと言う。…そして逆に殺されて、金銭も奪われた。
「…雪ちゃんの両親はね、私がその人の妻だったこと、知らなかったの。だから、嘘なんてつく意味がない。嘘なんて、ついてない…。それなら、夫にも非があったということ…。最後の復讐心すら、…その時散ったわ。……私は何で、ここに来たの? もう、分からなかった…」
雪の両親の口からも、その時の後悔と、親族に謝罪したいという言葉が出る。どうして彼らはこんなにも優しいのか。どうして殺されなければいけないのか…。自分が殺す立場でありながら、関はもう、何もかも分からなくなっていた。
「……この世界は幸せでしたよ。それは間違いありません。…先生は、…可哀相な、人だな…」
「…そうね。私は、…馬鹿だわ…。可哀相な、操り人形…」
関美里は、最後まで幸せを得られなかった。最後まで、望んだ未来を得られなかった。…運命に踊らされた、可哀相な、女…。
…三年前、優磨が実行犯の二人を殺す。その後優磨が自殺。その事件でまた、彼女の心が抉られる。…ああ、優磨くんは、…身を投げ出して、この事件を止めようとしたんだ。…私は、なんて情けない。
彼女はそれを機に決心する。…この大量殺人を止められるかもしれない余地を残そう。…そう決心する。
「…ここからは、事件の話よ。関美里の話は終わり。馬鹿な女の話はもう、やめ…」
呟くように、俯いたまま、彼女は言った。…零音にかけてあげられる言葉はない…。
「私は、事件が誰かの手で暴かれて、止められるかもしれないなんて甘い事を考えた。だから、数々の作戦に穴を残した。…むしろそれが、全滅なんていう最悪の結果を生んだのかもしれないわ。…私はつくづく、馬鹿…」
息が上がる。…呼吸を整えて、関はまた話しだす。
「まず、私は合い鍵を作らなかった。職員室の件は私が自分で窓に鍵をかけたのよ。…子供騙しみたいだわ。…本当に皆、騙されていたけれど…。そして何ヵ月か前に拘束し、服従させた東夫妻に、各家庭のインターホンを鳴らせて安心させ、実行犯が襲う。…これも、恐ろしいほど上手くいった。…平和で幸せな世界だったからなのかも、しれないわね…」
半日もかからず、親は皆殺される。関には耐えがたかったが、…両親は、アネモイが殺した。…だから彼女自身は、それを見てはいない。
「あとは、名前ね。…名乗らせるようにしたの、全員に。メシアの十三番、…『Tea』だと。…ここまで話をしたら。わかるわよね。…零音、答えてみて?」
先生からの、質問だった。…いつもなら、元気よく、答えていたけれど。
「…こんな時に、そんな風にいうなんて、…意地悪ですよ、先生…。…Teacherの、上三文字。…そういう風に読み取れば、いいんですか」
関は、よくできましたとでも言うかのように、笑顔になった。…涙で顔を腫らしながらも。
「その通りよ。…気付いて止めてくれる事を願ったわ。今なら、不審な行動が多かったって思えるでしょう?」
確かに、彼女は怪しい言動が数々あった。前日に平山夫妻と話していたり、窓の鍵を主張したり、零音を助けるため、わざわざ体を張ったこともあったし、…雪と別れる前の、私達の未来のためにという言葉は、…意味深だった。
「でも、結局止まらなかった。最後まで、来てしまった。…このシェルターは、悲劇に満ちたわ。…私のせいよ。全部、全部ね」
彼女は笑う。その笑みに、光はない。そう、彼女は、自らの手で、終わらせようとしている。…悲しみと苦痛に満ちた、真っ暗な人生を、その手で終わらせようとしている…。
「先生のお話は、これで終わり。…そして零音。もうあなたは卒業よ。…独りぼっちの卒業式でごめんなさい」
答えたいのに、言葉が出なかった。いや、体すらも動かせなかった。ただただ、涙が溢れてくる。零音は、彼女をその眼差しで見つめることしかできない…。
泣かないで。そう言っている気がする。関の目は、寂しそうにそう語っている。だからこそ零音は、涙を止めることができなかった。
「…あのっ…さ…」
声を詰まらせながらやっと出てきた言葉。朝霧が言っていた。彼女の心のキズも、癒してあげて、と…。それを、思い出す。
「……俺の両親は、先生のこと、知ってたよ…。……だ、だって…姉さんだと思えって、…いつも、言ってた、……からさ…」
そう。零音の両親はいつだって言っていた。美里先生を頼れと。姉さんだと思えと。だからきっと、気付いていたのだ。彼女が自分達の、……娘だと…。
それを聞いた関は、一瞬だけ驚いたような顔になる。…そしてそのまま下を向いて首を振り、…再び零音の方を向く。
「こんな先生でごめんね。こんな姉さんでごめんね。……でも、最後にひとつだけ、…君に言いたい」
零音は、震える手をなんとか動かして、目を乱暴にこする。それでも止まらない。…涙が、止まらない…。
「なん、ですか…。せん、せい…」
必至に、それだけを言葉にする。
「……先生は嫌。姉さんって呼んで?」
鼻が詰まる、喉から言葉が出てこない。それでも、言葉をひねり出す。
「…姉さ…ん」
芹沢美里は、……最後にもう一度笑った。
「ありがとう」
*
*
*
無機質な部屋。机には、使い古された灰皿が置いてある。もちろん、そこに座っている少年がそれを使うことはない。
ブラインドから微かに射しこむ陽は、緑色。シェルターの中にいるのだから、仕方ないことだ。
その色を見ていた少年は、一言だけ呟く。
「…雪。見られなかったな。…青い空」
それは誰にも聞かれることはなかった。
…少年の向かい側に座って、彼から話を聞き出していた警察官は、腕を組んだまま、しばらく考え込んでいた。…そして言う。
「……本当にそれが真実なのかい? 本当なら、大変なことだ…」
日本が最大の危機を迎えているというのに、こんな大規模な事件が国の手により行われたと知れれば、どうなるか分かったものではない。こんなにも重大な真実を、どう処理すればいいのか、警察官はまた、腕を組んで黙りこんだ。
「…認めたくなくても、それが真実なんです。…俺だって、その全てから目を背けたいんですよ」
少年の目に光はない。そう、彼は全てを失ったのだ。彼こそは、史上最悪の連続殺人事件と呼ばれるようになった、シェルター事件の、唯一の生還者。仲間を、家族を全て殺された、…唯一の生きた被害者なのだ。
彼は、芹沢零音は、頭に包帯をしていた。朝になってやってきた警察官に彼は言った。「銃弾がかすっただけです」と。
…あの時、関は銃を二つ持ち、片方を自分の頭に、片方を零音に向けた。…最後まで悩み続けた彼女は、ついに自分では決められなかった。だから最期に、運命に行方を預けた。
その結果。零音に向けて放たれた弾は狙いが逸れて、零音は命をとりとめる。…あのバトルフィールドの勝者は、芹沢零音だった。
しかし、…勝者なんているのだろうか? いや、…いるはずがなかった。
悲しみと苦しみの物語は、最悪の幕引きを遂げた。…生き残った零音すら、勝者ではない。…彼もまた、幸せを奪われた、…犠牲者の一人にすぎない。
「…もう、帰っていいですか。…全部話しました。…信じるか信じないかは、あなた達の自由です」
もちろん、帰る場所などなかった。ここにいるのに嫌気がさしただけだ。もう一度あの悲しい事件を語ることは心苦しかった。
「…帰る、か……。一つだけ良い事を教えてあげよう。君には東京の住宅が提供されるそうだ。…もちろん、国からの援助だと言っている辺り、…国には嫌気がさすがね。…そこに行くといい。きっと、未来はあるさ。…君は生き残ったんだ。生きてる限り、未来はある」
警察官が力強く、そして優しくそう諭す。…未来。…零音には未来がある。
「…未来……」
零音の目に、少しだけ光が戻った。
「生活の保障を、してくれるってことですか?」
警察官はその質問に、笑いながら答えてくれた。
「もちろん。君は生涯サポートされるさ。…いや、最低限だろうから、大人になれば働くべきだとは思うけれどもな」
多額の慰謝料を国からとれるだろう。…凄惨な事件だったのだ。それは当然のこと。…何十年か不自由なく暮らせるくらいの金額にはなるはずだ。
「……ありがとうございました。…その家まで、送って行ってくれる人とかいますか?」
零音は立ち上がる。
「ああ、もちろん。外で待機してるよ。しばらくの間は、彼を呼び出せば好きな所に連れて行ってもらえる。…彼は国が雇ったわけではないから、安心するといい」
警察官は、部屋の扉を開け、零音に先に出るよう促す。零音は一礼してから、部屋を出た。
「…希望を持って、生きていくんだぞ。…君は、痛ましい事件を終わらせてくれた、…さながら、小さな勇者なんだから」
零音の背を叩きながら、警察官は、はっはっ、と大笑いした。それは零音を励ますためのものだったが、彼の表情は暗いままだったので、それ以上は続けられなかった。
勇者という言葉は、零音にとっては辛いだけだった。…だって、自分は、誰ひとり、…あのシェルターから救い出す事が出来なかったのだから。自分以外の人皆、死んでしまった。そんな中生き延びた自分が、勇者なのかと問えば、…そんなはずはなかった。
だから、零音は、自分のことを勇者などと言ってほしくはなかった。…誰も助けられなかった哀れな少年。それが、自分自身の思う彼だった。
それでも、生きていこうとは思っていた。さっきの警察官の言葉で、少しだけ希望が生まれた。いや、未来が。
「ひとつだけ、調べてほしい事があるんです」
入口に向かいながら、零音は警察官に聞く。
「ん? なんだい?」
警察官は、何でも言ってみたまえ、というような笑みを浮かべて、零音を見つめる。…警察ならきっと、調べられるはずだ。零音はそう思って、聞く。
警察官が一つ頷くと、零音は笑いながらその扉を開けて、外の世界へ、出ていった……。
Memory Modification
――異色ミステリ。その日は幸せな一日だったのか。主人公、叶田友彦は、自らに問う。
双極の匣
現在執筆中。四部編成の長編ミステリ。平和だと信じて疑わなかった村の、秘められた闇とは。
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