時刻は十九時を回った。そろそろ夕食の時間だ。…幸か不幸か、民家に籠城することになったので、食事の用意はあった。朝霧に許可をとって、関先生は台所へ向かう。
「こら、雪ちゃん、千華ちゃん。女の子なんだから、来なさい」
ぼーっとしている二人に、先生は言う。それが先生なりの気遣いなのだろう。場が少し和んだ。思えば、先生は何度も空気を変えてくれている気がする。
零音はしばらく気付かなかったが、どうやら朝霧の母親の死体は、そのままだと皆が怖がるので、朝霧と先生で親の寝室に移動させてあるようだった。気を使ってくれているんだな、と零音は思う。
その朝霧は、アネモイのことを調べるといって、本を沢山置いてある部屋に行った。両親が本を集めているらしく、小さな部屋に本棚が所狭しと並んでいて、その部屋は小さな図書館のようになっていた。
「忙しい奴だな、朝霧も…」
彼が今のところ、一番頼りになっているのは間違いなかった。それに更に応えたいのだろうか。無理をして頑張っているように見えなくもない。
「まぁ、気になることがあると調べたくなる性格なんじゃないかな」
水谷がフ、と笑う。先生と雪と舞宮が食事を作りに行き、朝霧はアネモイについて調べに行き、東は寝室で寝ている。なのでリビングには零音と水谷の二人だけだった。…もう七人しかいない。それが嫌でも感じられる。
「……情けないな……全員で生き残るって、…言ってたのに」
零音が言う。…しかし返事は返ってこない。むなしく、その言葉だけが耳に残る。水谷も、同じことを思っているのだ。…仲間一人を守ることもできないなんて。
木戸が殺された時も、不注意だった。河井が殺された時も、不注意だった。…自分達は、大切な仲間を、…敵地に放り出したようなものなのではないだろうか…。
「…ほら、零音くん、水谷くん。…そんなことしてても、意味無いわよ。……食事ができたわ。これを食べて頑張って。……次は守って。皆を」
関先生が、食事を机に並べながら、二人に言った。先生は、生徒の心が分かるのだろう。…二人はその言葉に、目に涙を浮かべる。
「はは、……今日だけでどれだけ泣いたろ。…ありがとう、先生。頑張るよ……」
にこりと、三人は笑い合う。そして後ろから、両手に皿を持った雪と舞宮が出てきた。
「できたはいいけど…。…朝霧くんはまだなのかしら……」
皿は六人分。東は当分起きないと考えているのだろう。その皿の上には、野菜を炒めただけの簡単な料理が乗っていた。そして、再びキッチンへ戻り、帰ってきてご飯を六人分置いた。
「朝霧は、一度始めると中々やめませんから。後で食べにくるでしょう」
流石に空腹だった。色々とあって、食事など食べられる気分ではないと零音は思っていたのだが、どうやら違うらしい。こんな時でも、動くためのエネルギーは求められている。
「しかし、皆ちゃんと料理できるんだな、って少し感心したぜ」
零音が、少しだけふざけてみる。出来るだけ食卓は楽しいものにしたいのだ。
「私は、ずっとお母さんを手伝ったりしてるからねえ。いつかは毎日作らなきゃいけなくなるし。女の子だからね。先生も、料理上手いよね。やっぱりいつかは結婚とかしたいんじゃないのかな?」
雪が関先生に聞いた。少し照れながら、先生は答える。
「そりゃあ、当然じゃない。でも、ここには独身の男の人はいないし。新しく人が入ってくることも、もう無いだろうからね…」
ここは犯罪者のシェルター。関先生は、そう、……ずっと一人で生きていくのだ。このままここが、犯罪者のシェルターである限り。
「先生、いつかは変わりますよ。どうせ隔離制度なんて、すぐに撤回されるに決まってます。こんな事件が起きてるんだから…。だから、いつか見つかりますよ」
「…そうね、ありがと」
先生は笑う。彼女の笑顔が、今日の悲しみを幾度も和らげてくれたのだ。零音は、本当に敵わない人だな、と笑った
「千華ちゃんは……そういえば、あんまり積極的じゃなかったけど…」
雪が、舞宮を見る。それだけで舞宮は、顔を赤くした。普段はこんな顔をしないだろう。
「あの、…私は、そういうこと、あんまりしたことないから…。親は、そんなことより、優しくて賢い女になりなさいって、いつも言ってたから…」
見れば、舞宮の人差し指には少しだけ切り傷が。料理ができないのは、本当のようだった。意外なことだ、と全員が驚く。
「千華ちゃんは確かに、大人の女の人みたいだもんねぇ…。なんか、品格があるっていうか。それもいいんじゃないかな? 私は千華ちゃんも可愛いと思うよ」
雪がそう言って笑いかけた。舞宮は、そんなことを言われたこともないので、どう言葉を返していいのかわからず、更に顔を赤くする。それを見て皆は声を出して笑った。
「うーん……」
流石に笑いすぎたか、舞宮は三角座りになって、顔を膝にうずめる。彼女のこんな一面を見るのは、皆初めてだった。
「なんか、舞宮はあんまり心を開いてくれない奴だなって思ってたけど、違うんだな。なんだろ、あんまり子供らしく笑ったりふざけたりできないんだろうな。いつも真面目だし。…でもなんか、本当はそんな可愛いところもあるんだな。…ははは」
零音は、そんなことを言って笑ったが、皆の目を見て、それが少し恥ずかしい台詞であったことを理解する。
「…ごめん」
「いや、ありがとう。そうだな、私ももっと皆と楽しく話したい。これからは、もっと笑えるようになるよ」
舞宮は言う。そして笑顔を見せた。…彼女が友達に見せる、初めての心からの笑みだったのではないだろうか…。
「その顔、素敵よ、千華ちゃん」
食卓は、笑顔に包まれた。
束の間の安らぎだろうが、それでも良かった。
生き残った後、また皆で過ごすことを考えれば、心が晴れた。
これ以上誰も失わない。そんな決意も湧いてきた。
だから、今はそれでよかった。